モンブラン マイスターシュテュック 163


還暦を迎えた四日後に、ペンを一本買った。
丸善の丸の内本店、四階の文具フロア。何かを買うつもりで入ったわけではない。ただ、ガラスケースの前でしばらく動けなくなった。
万年筆ではなく、ローラーボールを選んだ。理由を後から考えてみると、私が書くものが「作品」ではないからだと思う。契約書に名前を書く。書類に日付を入れる。人の評価に一言を添える。誰かに読ませるための美しい文字ではなく、確実に残ればいいだけの文字だ。ローラーボールは、迷わずインクを置いてくれる。書き直しがきかない。そこが、いい。
モンブラン マイスターシュテュック 163。ドイツ語で「傑作」という名前らしい。自分にはいささか大げさだと思いながら、それでも持ち帰った。六十になった男が、少しくらい大きな名前の道具を持ってもいいだろう、と自分に言い訳をして。
家に帰ってキャップを覗いたら、リングに番号が刻まれていた。MFPQ2RRH4。世界にひとつの、この個体だけの番号。
「これは最後まで使う」と思った道具は、これが初めてではない。
そう思って手にしたものが、いくつもある。そして、そのすべてが、いまも手元にある。
そこは少し誇っていいと思っている。手放さなかった。壊さなかった。飽きなかった。傷が入っても、色が褪せても、使い続けた。そういう道具が、机の上に、引き出しの中に、確かに並んでいる。
つまり私は、「最後まで使う」と口にしたとき、たいてい本当に最後まで使う人間らしい。
だから、このペンについても同じことを言う。気負いなく、静かに言う。これは、最後まで使う。過去の道具たちが、その言葉を保証してくれている。
道具というのは、不思議なものだ。
新品のまま桐箱にしまっておけば、価値は保たれる。でも、それは道具ではない。ただの黒い樹脂の棒だ。金メッキは剥げるし、樹脂には傷が入る。使えば必ず、そうなる。
だからこそ、傷の入った道具のほうが美しいと思うようになった。手元に残っている道具は、どれも傷だらけだ。そしてその傷の一つひとつを、私は説明できる。いつ、どこで、何をしていたときについた傷か。
このペンにも、これから傷が入る。その傷を、私は説明できるようになるはずだ。
インクが減っていれば、私はまだ何かを書いている。
書いているということは、まだ何かを決めているということだ。決めているということは、まだ、誰かの役に立とうとしているということだ。
いつか手が止まる日が来る。そのとき、このペンのインクも止まる。それでいい。それまでは、減らし続けたい。
還暦の四日後に買ったこの一本は、記念品ではない。これから何を書くかを、静かに見ている道具だ。
キャップを外すたびに、少しだけ背筋が伸びる。それだけで、十分に元は取れている。