粘土と器、ノートを前に考える陶芸家の手元
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粘土と経営

第1章 見えない土台をつくる

粘土を丹念にこねる手元

最近、陶芸の作陶に、良い意味でのめり込んでいる。

なぜだろうと、内省してみた。行き着いた答えは、少し意外なものだった。作陶の過程が、自分が長年やってきた経営と、本質のところで同じだったからだ。

作陶は、ただの粘土から始まる。まず、これを丹念にこねる。地味で、単調な作業だ。だが、ここを疎かにすると、後で必ず痛い目に遭う。こねが甘ければ、中に空気が残り、火を入れた瞬間に割れる。

経営も、同じだ。派手な戦略の前に、地味な土台づくりがある。人を育てる、基準を定める、仕組みを整える。誰も見ていない、面白くもない作業だ。だが、ここを飛ばした事業は、負荷がかかった瞬間に、あっけなく割れる。

第2章 計画は羅針盤であって、鎖ではない

ろくろで器の形を整える手元とスケッチ

こねた粘土から、最初の形をつくる。大まかな塊をこしらえる。ここで初めて、頭の中にあった「こういうものを作りたい」という像が、手のひらの上に現れる。

そこから、成型が始まる。面白いのは、ここからだ。

力の加減、指の添え方、回す速さ、その日の湿度。無数の要素が絡み合って、目の前の粘土は、少しずつ姿を変えていく。そして、作陶を進めるうちに、当初は考えていなかったアイデアが、ふと浮かぶ。ここを少し薄くしたら。この曲線を、もう少し伸ばしたら。そのアイデアを取り入れた瞬間、作品は、最初の構想から、いい意味で逸脱していく。

私は、この逸脱を、失敗だとは思わない。むしろ、これこそが作陶の醍醐味だと思っている。

経営の現場でも、同じことが起きる。緻密に計画を立てても、動き出せば、想定しなかった状況が次々に現れる。そのとき、計画に固執するのか、その場で浮かんだ最善の一手を取り入れるのか。私は、後者を選ぶ人間だ。計画は羅針盤であって、鎖ではない。現場で素材と対話しながら、より良い形へ変えていく。その柔軟さがなければ、いいものは生まれない。

第3章 火が暴く「詰めの甘さ」

窯の火と焼成された器

形が定まったら、素焼きに入る。

素焼きは、正直な工程だ。しっかり作っていなければ、ここで割れる。こねの甘さ、成型の無理、乾燥のムラ。目に見えなかった詰めの甘さが、火を通した瞬間に、すべて露呈する。ごまかしが、一切きかない。

経営における「詰めの甘さ」も、これと同じだ。平時には見えない。曖昧なままの取り決め、なあなあで済ませた約束、詰めきらなかった契約。何事もないうちは、表面化しない。だが、ひとたび負荷がかかれば、そこから割れる。火は、隠していた甘さを、容赦なく暴く。

第4章 窯が教える、一回性の価値

窯から出した一回限りの釉薬景色を持つ器

素焼きを越えたら、釉薬をかける。

ここで、いつも驚かされる。教えられた通りに施したはずなのに、窯から出てくるものは、毎回、予想を超えてくる。狙った色より深かったり、思いがけない景色が生まれたり。窯の中で何が起きているのか、最後まで、こちらの完全な制御は及ばない。

そして、その予想を超えた結果を手に取ったとき、私の中に、次の作品の構想が芽生える。今回の逸脱を踏まえて、次はこうしてみよう、と。完成は、終わりではない。次の始まりだ。窯出しの瞬間に、もう次の一回が始まっている。

ここで、一つ、断っておきたい。

私は、陶芸に再現性を求めていない。同じものを、寸分違わずもう一つ作ろうとは思わない。むしろ、その一回きりの、二度と再現できない偶然を楽しんでいる。その場で正しいと思ったこと、ふいに浮かんだアイデアを、迷わず取り入れる。だから、同じ作品は、二つとない。

第5章 経営には「仕組み」と「判断」の二層がある

並んだ素地の器と一つの個性的な作品

一方で、経営には、再現性が求められる。誰がやっても同じ結果が出る仕組み。それがなければ、組織は回らない。この点で、陶芸と経営は、正反対のようにも見える。

だが、内省を深めるうちに、気づいた。経営には、二つの層がある。

一つは、仕組みの層だ。日々の業務、管理、オペレーション。ここは、徹底して再現性を追求する。誰がやっても同じ品質で回る「型」をつくる。ここに、その日の気分やひらめきは要らない。むしろ邪魔だ。

もう一つは、判断の層だ。何を作るか。どこで勝負するか。この一手を、どう打つか。ここは、再現できない。その場の、一回きりの判断で決まる。過去の成功を、そのまま繰り返せる場面など、二つとない。

そして、私が陶芸でやっていること——再現性を求めず、一回性を楽しみ、その場のアイデアを取り入れること——これは、経営における判断の層と、寸分違わず、同じなのだ。

陶芸は、経営の判断の層だけを、純粋に取り出したものだった。

だから、これほど惹かれるのかもしれない。今の私は、現場で、仕組みの層を必死に整えている最中だ。属人的だった業務を、誰でも回せる型に移している。その作業に、多くの時間を注いでいる。

仕組みを手放していくほど、自分の中で、もう一つの層——一回きりの判断、その場の創造——への渇きが、澄んでいく。その渇きが、粘土に向かわせているのだと思う。

第6章 経営者の仕事は、決めること

器の高台を削り最後の判断を下す手元

経営者にとって、最も価値のある仕事は、この判断の層にある。仕組みは、いずれ人に、あるいは技術に、委ねられる。だが、何を作るかを問い、その場で最善の一手を打つ判断力だけは、誰にも肩代わりできない。そして、その力は、使い続けなければ、確実に鈍る。

私は、こう考えている。経営者に求められる仕事の本質は、突き詰めれば、たった一つ「意思決定」だけだ。

これは、暴論に聞こえるかもしれない。だが、本気でそう思っている。作業は、任せられる。管理も、仕組みにできる。実務は、優秀な仲間や、進化し続ける技術が担ってくれる。経営者が最後まで手放してはならないもの、手放した瞬間に経営者でなくなるもの——それは、決めることだ。何をやり、何をやらないか。どこで勝負し、どこから退くか。この一手を、今、打つか、待つか。誰にも代われない、その一回きりの決断の連続が、経営という仕事の、削ぎ落とした先に残る核心だ。

だからこそ、経営者は、決める力を研ぎ澄まし続けなければならない。頭を、日々の作業で埋めてはいけない。作業に追われている限り、決めることに、全神経を注げないからだ。仕組みに委ねられるものは、すべて委ねる。そうして空いた場所に、判断だけを置く。

私にとって陶芸は、もはや、ただの趣味ではない。この、鈍らせてはならない決める力を、手を通して回し続ける、訓練の場なのだ。粘土を前にした一つひとつの選択は、規模こそ違え、経営の現場で私が下している決断と、同じ筋肉を使っている。

粘土をこね、形をつくり、火にくべ、窯から出す。その一周のなかに、私は、自分が大切にしてきた仕事の原理のすべてを、見ている。

志を持って、何かをつくろうとしている人へ。あなたの仕事の中にも、きっと、再現してはならない一回性の判断がある。それを、大切にしてほしい。そして時々、その力を、まったく別の場所で——手を使って、無心に——回してみてほしい。

きっと、あなたの仕事の本質が、思いがけない形で、見えてくるはずだ。

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