嵐のような過去を越え、朝日に向かう経営者

ストレスは、40代で使い切った

40代で使い切ったストレス

海外の職場で文化と言葉の違いに悩みながら働く若いビジネスパーソン

「ストレスはたまらないんですか?」

よく聞かれます。答えはいつも同じです。ストレスと呼ばれるものは、40代の後半までに、全部味わい尽くしました。

若いころ、海外で仕事をしていました。言葉が通じない。習慣が違う。仕事の進むスピードも違う。毎日がその連続でした。20代の後半は、知識も経験も足りず、会社の問題を前にして、どうしていいかわからないことばかりでした。今の自分なら「こうすればいい」と助けてあげられるのに、当時の自分には、それがわからなかったのです。

筋の通らないことを言われる。わかってもらえない。そもそも関心すら持ってもらえない。そういう毎日は、ストレス以外の何物でもありませんでした。

「経営の問題の80%以上は、人と人との関係の問題だ」と言った方がいます。本当にその通りだと思います。私はこの問題と、世界中で向き合ってきました。胃を壊し、仕事をやめたくなり、それでも、なんとか這い上がってきました。

だから今は、問題や課題に頭を悩ませることはあっても、ストレスを感じることはありません。

「反応的」と「主体的」

出来事と反応の間で立ち止まり、自分の進む道を選ぶ人

『7つの習慣』という有名な本に、「反応的」と「主体的」という言葉が出てきます。

反応的な人は、起きたことにそのまま心を振り回される人です。雨が降れば気分が沈む。誰かの一言で一日中イライラする。目の前の出来事に、自分の気持ちの主導権をにぎられてしまっている状態です。

主体的な人は、こう考えます。「何が起きるかは選べない。でも、それをどう受け止めて、どう動くかは、自分で選べる」。出来事と、自分の反応との間には、実は「選ぶ余地」があるのです。

私がストレスを感じなくなったのは、鈍くなったからではありません。この「選ぶ余地」を、痛い思いをしながら手に入れたからです。本を読んで覚えたのではなく、胃を壊しながら、体で覚えました。だから、簡単には消えません。

問題は今でも毎日起きます。でも、「問題が起きること」と「自分の心が乱れること」は、別の話です。ここを切り分けられるようになったとき、ストレスは「襲ってくるもの」から「扱えるもの」に変わりました。

起きたことは、「事実」とは限らない

目に見える結果の下にある原因と構造を確かめる人

一方で、最近、少し疲れていることがあります。正直に書きます。

目の前で起きたことだけを見て、「きっとこうに違いない」と思い込んでしまう人が多いのです。なぜそれが起きたのか、原因を調べない。確かめない。思い込みを「事実」だと信じて、その思い込みをもとに、仕事のやり方や、時には自分の進む道まで決めてしまう。

ただ、その原因も、わかる気がします。今は、時代の変化があまりにも速いのです。新しい技術、新しい仕組み、新しい常識が、次から次へとやってきます。ついていくだけで精いっぱいで、一つひとつの出来事を立ち止まって確かめる余裕がない。正直に言えば、私自身も、ついていくのがしんどいと感じるときがあります。だから、目の前のことに飛びついて、早く答えを出して楽になりたくなる。その気持ちは、よくわかるのです。

それでも──いや、変化が速い時代だからこそ、あえて言います。

これはまさに、反応的な生き方です。

目の前で起きたことは、「結果」です。結果の裏には、必ず原因があります。原因を確かめずに結果だけを見ていると、判断は毎回、その日の風向きで変わってしまいます。では、風向きで変わる判断に、自分の仕事や人生を預けたら、どうなるでしょうか。風が変わるたびに、進む方向も変わります。昨日決めたことが今日には揺らぎ、せっかく積み上げたものが、そのたびにゼロに戻る。気がつけば、何年たっても同じ場所をぐるぐる回っている──そういうことが、実際に起きるのです。

主体的であるとは、明るく振る舞うことではありません。「起きたこと」と「本当のこと」を分けて、原因を確かめて、そのうえで「自分はどうするか」を自分で選ぶことです。腹が立つこと自体は悪くありません。腹が立ったまま判断を下すことが、問題なのです。

わからなければ、聞く勇気を

わからないことを経験者に尋ね、学びを受け取る若い人

最後に、私の経験から、ひとつだけお伝えします。

わからないことがあれば、聞く勇気を持ってください。

20代の私は、聞けませんでした。知らないことを知られるのが怖かったのです。「こんなことも知らないのか」と思われたくなくて、わかったふりをして、一人で抱え込みました。その結果が、壊れた胃と、数年分の回り道です。

あとになって、気づきました。聞くことは、恥ではありません。わからないままにしておくことのほうが、よほど高くつきます。そして、聞かれた側は、案外うれしいものです。自分の経験が誰かの役に立つ瞬間は、教える側にとっても喜びだからです。

出来事と反応の間には、「選ぶ余地」がある。そう書きました。実は、わからないときに「聞く」ことも、その選択のひとつです。思い込みで判断する前に、確かめる。一人で抱え込む前に、口を開く。たったそれだけのことで、人生の回り道は、ずいぶん減ります。

私が高い授業料を払って学んだことが、誰かの近道になるなら、それに勝る喜びはありません。

類似投稿